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【ブックレビュー】『わが母なる暗黒』ジェイムズ・エルロイ

『わが母なる暗黒』ジェイムズ・エルロイ

『わが母なる暗黒』ジェイムズ・エルロイ

 

アメリカン・ノワールの巨匠、「Demon dog of American crime fiction」ことジェイムズ・エルロイの、殺された母親を巡る物語。

エルロイ11歳のときに、実母ジニーヴァ・エルロイは、何者かによって強姦殺害されたことは有名ですが、犯人不明で事件は未だに未解決。で、大人になり、人気作家となったエルロイは、未解決の母の事件を追ってみることにします。

突然失った美しい母への愛憎と憧憬

エルロイ11歳のとき、既に両親は離婚していました。エルロイは母親に引き取られていて、父のところには定期的に遊びに行く関係です。

母親は看護師として働く、赤毛の美女でした。
父親は母より10歳以上歳上で、背の高い男前。以前は映画関係の仕事をしていましたが、事件の頃はブラブラしている感じでした。

エルロイは、陽気な遊び人の父に好感を持っていて、口うるさい母親には反発していたけれど、同時に、肉感的な美女だった母に、異性としての憧れも持っていました。

で、母自身の人間性をよく知らぬまま、突然彼女を失ってしまったので、何重にもねじ曲がった愛情を、大人になってからも抱き続けています。

重ねて見ていた「ブラック・ダリア

ジェイムズ・エルロイブラック・ダリアに対する執着は有名ですが(彼が一気に有名になったのは、ブラック・ダリア事件をモチーフにした犯罪小説からでした)、母親よりも少し早く殺された黒髪の美女に、母親を重ねて見ていました。

これは心理学的にはすり替えと言われる現象らしい。つまり、母親と同時期に殺された、黒髪の美女に熱中することで、赤毛の美女たる実母が殺害されたという、辛い事件から気持ちを逸らしたということですね。

この辺りのことは、心理学者のレノア・テア著『記憶を消す子供たち』に詳しく書かれています。レノアがエルロイ自身に取材した記事があります。

ブラック・ダリア事件詳細はこちら(猟奇殺人事件・閲覧注意)

第二章の少年~青年期の回想も凄まじい。
母を失ったエルロイは、離れて住んでいた父親に引き取られることになります。
父はユニークでハンサムで魅力的な男だけど、壊滅的に生活力がない。貧しいし、家はしっちゃかめっちゃか。母が許さなかった犬を飼うことを、父の下で実現出来たエルロイ少年だけど、躾もせずにほったらかしだから、部屋中犬の糞尿まみれだったりして、まぁ劣悪な環境です。

しかも、父もそのあと数年で亡くなってしまう。

親の保護観察を失くしたエルロイ少年は、盗みやピーピングの常習犯にして、アルコールや薬物の中毒者にもなってしまいます。この第二章の悲惨さ激しさは、読んでいて苦しくなってしまいました。

けれども、どんなに堕ち果てたように見えても、エルロイが決して手放さなかったものがありました。

それは、物語を書きたいという衝動。

そう。辛いことばかりの子供時代に、エルロイは貪るように、探偵小説や犯罪小説を読み漁っていました。そしていつか自分でも書いてみたい気持ちを温めていたのです。

何度もクスリでブチ込まれながら、エルロイは身を立て直す決心をします。そして、何度目かの釈放のあとで、ゴルフ場でキャディのバイトを始めました。

早朝からの力仕事で、体調が徐々に回復していき、また、安定して生活費を稼げるようになったので、生活と気持ちに余裕が出てきました。エルロイは、小説を書きに書きました。そしてついに「暗黒のL.A.シリーズ」第一部となる『ブラック・ダリア』で、人気作家となることが出来たのでした。

故人を知ること。それは故人の鎮魂となる

人気作家になったエルロイは、母親殺害のことを何度も取材されることになります。
ショッキングな犯罪小説家の、ショッキングな子供時代の思い出。確かに非常に興味深いお話です。

そしてあるとき、自分で調べてみる決心をするのです。母親の殺人事件のことを。

かつて母と住んでいた治安のよくない街へ赴き、少年だった自分に母親の死を告げた警官たちと再会し。殺害の夜、母が最後に目撃されたダイナーへ立ち寄り、母の死体が横たわっていた駐車場へ足を伸ばす。

「未解決事件」の証拠保管庫へ行くエピソードは圧巻です。

死体発見時、母が着ていたブルーのドレスを手に取る。確かに見覚えのある、古びた、懐かしいドレス。母の匂いが残っているような気すらする、懐かしい布地。このブルーのドレスを手に取るところ、胸に迫るものがあります。

結局、犯人は見つからない。

けれど、事件を追っているうちに、母ジニーヴァがどんな女だったかだんだん分かってきます。

母は田舎町では一番の美人で聡明な少女でした。
存命の妹(つまりエルロイの叔母ですね)は、何十年経った今でも姉を崇拝している。

歳上の伊達男の父を愛して自分を生み、父との結婚生活が終わり、たまには楽しみたい尻軽女になり、「土曜日の安っぽいお楽しみ」のために、命を落とした。

故人を知ること、知ろうとすること。

それは、母が実は尻軽女で、不注意からつまらない殺され方をしてしまったという、辛い事実が判明することであるかもしれない。

しかし、調査の道行きの中で、聡明な少女だった母、愛し愛された母、そして酷い運命の中でも懸命に生きてきた母の姿を知ることにもなったのです。

知ることが、鎮魂になり、自分自身の静かな癒やしにも変換していく。
その様は、突き刺さるような深い感動を与えてくれました。

落ちもないし、長いし、途中のったらのったらするところもあるので、面白い本だよと気軽に勧めるのは気が引けますが、わたしにとっては確実に「読んで人生が変わった」と言いたくなる程の名著でした。

この本の、美しすぎる第一章の冒頭の文章をあげて、終わりにしたいと思います。

A cheap Saturday night took you down. You died stupidly and harshly and without the means to hold your own life dear. Your run to safety was a brief reprieve. You brought me into hiding as your good-luck charm. I failed you as a talisman – so I stand now as your witness.

Your death defines my life. I want to find the love we never head and explicate it in your name. I want to take our secrets public. I want to burn down the distance between us. I want to give you breath.

卑しい土曜の夜があなたを殺した。あなたは愚かな、むごい死を迎えた。自分の生をいとおしむ手だてもないままに。

あなたの死はわたしの生を定めた。わたしはあなたと共有することのなかった愛を探し求め、あなたの名でそれを解き明かそうと思う。

わたしはあなたの秘密をおおやけにしようと思う。あなたとの距離を焼き払おうと思う。わたしはあなたに息吹を与えたいのだ。

James Ellroy – ‘My Dark Places 訳・佐々田 雅子

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