Canary Chronicle~カナリアクロニクル~

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映画や本のレビューや雑感、創作活動や好きなもののことなど。トリッチのあたまの中のよしなしごとを綴ります。

【映画レビュー】『マーターズ』2008年

マーターズ』2008年

『マーターズ』2008年

 

マーターズ』2008年:あらすじ

1971年。一人の少女が、下着姿で必死に工場街を駆けています。彼女はリュシー。何者かに囚われて激しい拷問を受けていましたが、隙をついて逃走することに成功したのでした。

『マーターズ』2008年

必死に逃げる少女時代のリュシー

 彼女は保護され、施設に送られますが、彼女を拷問していた人間が何者なのかも分からなかったし、心には深い傷を負いました。

それから15年後のある日曜日。とある一家が平和な日曜の朝食を楽しんでいると、フードを目深に被った女性が乗り込んで来て、ショットガンで一家を皆殺しにしました。彼女は、被害者の家から友人に電話をかけます。

彼女こそがあのときのリュシーで、電話をかけた相手は、保護施設時代からの親友アンナです。リュシーはアンナに、自分を子どもの頃に監禁し、拷問を加えていた人間を見つけたと告げます。アンナは慌ててリュシーの下へ向かいます――。

【レビュー】キングオブ鬱映画?ノー!非常に美しい映画です大好き!

以下、ネタバレではありませんが
内容に踏み込んでいます。

本作未鑑賞のかたはご注意ください。










最高の鬱映画、トラウマ映画と名高い本作、今年に入ってとうとう鑑賞することが出来ました。

結論から言うと、最高。

作品の神々しさ、切なさに揺さぶられ、観たいもの全部観られた!という充足感に包まれ、精神をえぐられるどころか深く深く満たされてしまった次第です。

リュシーの一家襲撃までのテンポ、最高。
前半は、このリュシーの怒りと絶望の章。全ての表現が、実に見事です。

監禁場所から着の身着のままで必死で逃げ出す少女時代のリュシー。拷問そのもののダメージに加えて、同じように捕まっていて「助けて!」と叫んでいた大人の女性を見殺しにしてしまったことで、彼女は深く傷付いています。

大人になったリュシーは、偶然自分を拷問していた人間を見つけ、彼らが普通の人間の皮をかぶって暮らしている彼らの自宅を襲撃します。

襲われたやつらが、まじでふつーの親子なのが酷い。両親と、高校生くらいの息子と幼い娘。軽口を叩き合い、ふつーに楽しい日曜の朝食を楽しんでいたりする。そこへ突然踏み込んで、ショットガンをぶっ放し、KILL、KILL、そしてKILLするリュシー。

この襲撃シーンが最高すぎた。

『マーターズ』2008年

復讐に燃えるリュシー

 フードを目深にかぶり、怒りに燃え、涙を流しながらショットガンで一家を惨殺するリュシー。
大人と、大きい方の子どもを迷いなく殺害したあと、ベッドの下に隠れた幼い娘のことは、ベッドに立ってベッドごと撃ち抜きます。
大量に舞い上がり、やがて降り積もる布団の羽毛。まさにいたいけな白い鳥を撃ち殺す狩りのイメージで、実に美しいシーンです。

これで終わった。そう思いたかったリュシーですが、彼女の悪夢は終わりませんでした。
いつもの恐怖に、徹底的に痛め付けられる。もうあいつらは死んだのに。

遂にやってやった! と昂ぶって電話してきたリュシーに仰天し、現場へ急行する、リュシーの親友アンナ。

しかし、リュシーは……。

やっと精神の開放と安寧を得るどころか、錯乱し、更に深く絶望している。

ああ、もうこの無残さ。

リュシー、リュシー!
思い出すだけで、彼女の名前を叫びたくなる。
スピード感、激しい暴力、嵐のように吹き荒れる、リュシーの怒りと苦悶。もう前半だけでふつーの映画1本の濃密さがあります。

どう考えても、リュシーは映画史に燦然と輝くトップオブ悲劇のヒロインです。これほどの激しさ、そして絶望を見せ付けてくれたヒロインが、ほかにあっただろうか。

リュシー、リュシー!
涙にくれながら、激しい憤怒の形相で、フードを目深にかぶってショットガンを手に荒れ狂う復讐の天使。永遠に忘れられない、美しすぎる絶望の表現です。

そして、後半のアンナ編。
たぶんこのアンナの悲惨さが、本作が「鬱映画最高峰」「キングオブトラウマ映画」と呼ばれる所以だと思うんだけど、何だろう。わたくし、本作の後半は、信じ難いような神々しいものを感じて、観終えてから絶句してしまいました。

いやほんと。こんなこと誰であってもされてはならないし、自分がされたいかって言われたらもちろん残像が見えるくらいの高速で首を振りながらNOと言いますが、何だろう、誤解を恐れずに言ってしまうと、わたしは不思議な安らぎを覚えました。 前半のリュシー編が動の絶望なら、後半のアンナ編は静の絶望ですね。

アンナが囚われている地下室の、奇妙に澄んだ青い空気は、まるで深海のようだ。 深海のような地下室で、終わりのない絶望の中で、己の心の声を聞き、いまは亡き愛する者の囁きを聴く。

ずっと一緒よ。こわがらないで。

アンナに訪れたのは、絶望だったのかどうかとすら思う。
人間が、人の身のままで、決して到達してはならない「向こう側」を、目撃した、どころか、身一つで到達してしまったんじゃないか。そんな気がしました。そしてそんな達成を成し遂げたとき、人は果たして絶望するものでしょうか。

恐らくマドモワゼルがああなるのも、深く満たされてのことだったのではないかしら。

『マーターズ』2008年

ミステリアスなマドモワゼル

 「何かとても恐ろしいことを聞かされたので」ああした、とは、わたしには思えませんでした。もう分かった。満たされた。もう何も思い残すことはない。そう思っての行動のように見えました。

と、言う訳で、わたしにはアンナとマドモワゼルは、WIN-WINに見えました。
まじで軽薄な表現ですが、ほかに言葉が見つからない。
お互い求めていたものを見つけたので、ああなったのではないかなと思った次第です。

それにしても『マーターズ』、ものすげーな!!

1作品の中で、タイプのちがう絶望の表現を2つも見せ付けた挙げ句、後半からは思いも寄らない高みにまで飛躍してしまった。

リュシーの、暗い嵐のように荒れ狂う怒りと悲しみ。
アンナの、深海をたゆたうように全てを受け止め、遠く遠く、高いところにある何かにまで届いてしまう解脱。

ばかな新興宗教がアホみたいに軽々しく使ったせいで、言葉の意味がすっかり軽くなってしまった「解脱」ですが、まさにこういう静けさのあとに訪れるものが解脱なのだろう。そんなことを思ってしまうような、恐るべき映画体験でした。

マーターズ』、大好きすぎ!! 好き!!٩(๑´3`๑)۶


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