Canary Chronicle~カナリアクロニクル~

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映画や本のレビューや雑感、創作活動や好きなもののことなど。トリッチのあたまの中のよしなしごとを綴ります。

【映画レビュー】『パラダイム』1987年

パラダイム』1987年

『パラダイム』1987年

 

パラダイム』1987年:あらすじ

枢機卿に会おうとしていたカールトン司祭が、鍵を入れた小箱を抱えた状態で死んでいるのが発見されました。

小箱の鍵と、カールトンの残した日記を託された大司祭は、日記に記されていた聖ゴダール教会に赴きます。
50年も前に閉鎖された聖ゴダール教会には、地下に秘密の礼拝堂がありました。
日記を読み進み、秘密礼拝堂が何であるか知った大司教は驚愕、超常現象の研究でも名高い理論物理学教授、バイラック博士に調査の協力を求める手紙を書きます。

『パラダイム』1987年

 

バイラック教授は、自分のところの研究生たちと、知人のレーイ博士と彼の研究生たちにも協力を要請、週末に聖ゴダール教会に泊まり込みで調査をすることにします

大司祭によると、地下の秘密の礼拝堂は、「眠りの兄弟」というバチカンすら把握していない秘密教団のもので、中央にしつらえてある謎の緑色の液体が渦巻くカプセルは、700万年も前に「神」がその子「サタン」を封じたものであると説明しました。

『パラダイム』1987年

 

そんな話聞かされましても、と、半信半疑の面々。

ところが、教会を出て帰宅しようとした研究生は、不気味なホームレス集団に取り囲まれ、惨殺されてしまいました。

『パラダイム』1987年

 

一方、緑の液体に興味津々だった放射線学者のスーザンは、ぽけーっと眺めていたら、突然噴射された緑の液体を飲み込んでしまい、以降元の人格を失い、仲間を襲うようになってしまいます。

『パラダイム』1987年

 

『パラダイム』1987年

 

窓にへばり付く大量の虫たち、無言で教会を見つめ続けるホームレス集団。
恐怖と疲労に追い詰められていく研究者たちは、うたた寝する毎に同じ悪夢にうなされるようになります。
大司祭は、「あれ」のそばに居る者は同じ夢を見るようになると説明し、バイラック教授はそれは未来から送られてくるメッセージだと言います。

教会内部では得体のしれない何かに変容した仲間が、外に出れば不気味なホームレスたちが襲ってくる。
そして謎の緑色の液体は、異様なエネルギーを放ち続けている。

「暗黒の王子」はこのまま復活してしまうのでしょうか。
刻一刻と運命のときが近付いてきます――。

【レビュー】実に見事な群像劇。「絶望の中、どう生きるか」

結論から申し上げると、最の高!!
いやもう素晴らしいですね。『遊星~』に比べると地味だし、『ハロウィン』のマイコーみたいな悪のカリスマもいないですけど、美しいゴシック調の絵面と印象的な音楽、化学とオカルトの融合、そして見事な脅かしっぷりで大興奮させていただきました

先ず、群像劇が素晴らしい。カーペンター作品の登場人物たちは、「それ以前」と「その後」の人生がちゃんとあるように感じます。

それぞれが、それぞれの性格で、それぞれの日常を営んでいる途中で、復活しようとしているサタンとか過去の亡霊とか、遊星からの物体とかマイコーのような異分子に出会う。普通の人たちが異分子に出会ってどう振る舞うか、ということが、極めて自然かつ印象深く描かれていて、それがもう最高な訳です。

淡々としたそれぞれの日常があって、それらが交差したところで異分子が接近してきて、突如破滅へ向かって駆け足で物語が進み始める。
この展開が見事すぎてもう何も言えなくなります。

そして印象的な音楽が、バラバラの個人の人生をひとつに束ねて、同じ破滅へ向かって押し流していく役割を果たしています。
音楽は効果音っていうんじゃなくて、もう物語の一部なんですね。素晴らしい。
パラダイム』でずーっと流れている音楽も、物語の下層部で静かに鳴り続けながら、最終的には奔流となって登場人物全員を攫っていこうとします。 最高。
カーペンターまじ天才! とウハウハが止まらない!!

プラス、本作は本当にビジュアルも素晴らしい。

薄暗い地下秘密礼拝堂では、無数に灯された蝋燭の炎が揺らめき、中央ではグリーンの液体が、禍々しく光りながら透明のチューブの中で回り続けています。
その傍らでは、キャサリンが階上で入力し続けている古代の数式が、パソコンのモニターに流れ込んできて、真っ黒い画面上でやはりグリーンに輝いている。

荘厳なゴシック調の礼拝堂と、たくさん持ち込まれた研究機材の対比もいい。

これでもかと出てくる虫虫大行進もいい。
冒頭のアカアリ軍団、窓にへばり付くミミズ軍団、そしてフランクの死体からワラワラわいてくるカナブン?的な真っ黒い甲虫も最高ですね!

あのちょっとクチバシが長い甲虫なんだっけ。
思い出した。カナブンてよりもオサムシだな。
昆虫大好きなのでオサムシワラワラにはウッヒョ!と喜んでしまいました。
CGがなかった時代に虫まみれを撮った映画は好感度大!! よくぞ頑張ってくれた!!
と惜しみない拍手を送ってしまいますね。

大好きシーンもいくつか。

俺は帰るぞ!と出ていって、ホームレスBBAにハサミで惨殺された可哀想なフランク……
そんな彼の死体が「貴様らにメッセージを伝えに来た……」って、窓の外の暗闇に立つシーンは大興奮でした。

「貴様らに死以外の未来はない」告げた途端!
ボクッ!とあたまがもげて後ろに転がり落ちる!!
ジーザスクライスト!!(←実際に劇中で叫ばれている)

そして、遠目の暗闇の中で、ボクッボクッと、手、脚、腰と順番に崩れ落ちてゆく!!
何この素晴らしい表現!! ウギャードヒー!! クッソ最高!!
本編を観終わってからこのシーンだけ再鑑賞したのは言うまでもありません。

ぐっとくるシーンもたくさん。

お調子者のアジアン、ウォルターは、危機的状況になっても多少滑り気味のユーモアを忘れず、正気を保ち続けていました。

が、逃げ込んだクローゼットの中で、悪魔王子を孕んでぐっちょぐちょに爛れまくったケリーが、突如あたまをぐるっと回して目が合い! ニヤアッと笑い!! 傍らの担架を念力でクローゼットにドーン! 扉を破壊してウォルターを捕まえようとし始めると、さすがのウォルターも我を忘れて叫び始めてしまうんですね。

ウギャーーーー死にたくない!! 助けて助けてぇ!!

ここのスクリームっぷりが、遂に我慢の堰が切れてわめき出した感満載で素晴らしかったです。

そしてこの叫びを聞いたブライアンが、籠城していた部屋のドアから家具とかをどかして、危険だと制止する仲間を振り切って、「もう我慢ならない! 俺はウォルターを助けに行く!」と飛び出していく。
主人公なのにヘンなチョビヒゲで、魅力の点ではちょっとアレだなと感じていたブライアンが、めちゃイケメンに見えた瞬間でした。

身を隠しつつ、聖書を読みながら祈り続ける大司教の姿もとても胸を打ちます。
「神よ父よ、我らが主よ、キリストよ、貴方の聖なる御名に、哀訴いたします。心からおすがりします。どうかお救い下さい……」
祈りの言葉を唱えながら、落涙する大司教
悪魔に乗っ取られたコールダーは、不気味に笑ったり大声でアメージンググレースを歌ったりしていましたが、大司教の祈りが届いたのか届かないのか、鏡を見つめながら涙をこぼしています。

絶体絶命、苦しみの最中、もはや神に祈るしか術のない状況での「お救い下さい」という哀訴!!
神様まじでどうにかしてやって!! バンバン!!
床を叩きながら、鑑賞中のわたしもプレイ・トゥ・ゴッド!!
夜が明けた位じゃ消えない悪魔の呪い!!
神に祈ったところで神が聞いて下さってるかも定かではない!
絶望の極致、もう物語の着地点が見えない!!

結局ホラーって「絶望の中でどう生きるか」の物語なのだなと思っています。
諦めて投げ出す者、神に祈る者、錯乱して泣き叫ぶ者、状況を打開しようと奮闘空しく倒れる者、奮闘の結果克服して生き残る者、そして偶然に助けられてふと生き残る者。
きっとどれが正解というものではなく、選択とそれに伴う覚悟の繰り返しなのだなと。

本作では、更に踏み込んで「悪とどう向き合うか」ということも描かれていました。

復活しようとしている「prince of darkness」ことサタンの父もまた「神」。
そして悪ははっきりとした「敵」ではなくて、自分の中にも必ず存在している要素であるという事実から、目を背けてはいけないとも明言しています。

「我々は本来人間の中に存在する悪を人格化し、勧善懲悪の物語にして真実から目を逸らしたのだ。その方が都合がよかった。我々はセールスマンのように「製品」を売りさばいた」

「最小単位のもの、素粒子よりも更に小さなものにも宿る『悪』という反粒子」。
さてわたしは、どうやって向き合っていきましょうか。
そんなことも考えた、素晴らしい映画体験でした!!

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