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【映画レビュー】『ヴィデオドローム』1982年

ヴィデオドローム』1982年

f『ヴィデオドローム』1982年

ヴィデオドローム』1982年:あらすじ

マックス・レンはポルノ映像を扱うケーブルTV局「チャンネル83」の社長です。番組の性質上、常に過激な映像を探し求めており、ここ2年程は自社のエンジニア、ハーレンが電波を無断受信している「ヴィデオドローム」というコンテンツにハマっています。

それは謎の人物が、延々と被害者を拷問しているというだけの内容でしたが、非常に生々しく、実は本当に拷問が行われているのではないかという疑いがありました。

ハーレンは「外国からの電波のように見せかけているが、発信元はピッツバーグだと分かっている」と話しました。

こんなものがアメリカ国内で行われているって? 俄然興味が増すマックス。自分の局でも、このようにリアルで過激なものを流したいと思い始めていたマックスは、ヴィデオドロームの制作者に会いたいと考えるようになりました。

そんなある日、マックスは他局の番組に、ラジオパーソナリティのニッキー・ブランドと「メディアの教祖」と呼ばれるオブリビアン教授と一緒に出演し、暴力的なコンテンツが市民に与える影響についてディスカッションします。
オブリビアン教授は、直接の出演ではなくTVの画面越しの出演で、異様な雰囲気です。

『ヴィデオドローム』1982年

この番組がきっかけでニッキーと付き合うようになったマックスですが、ニッキーは強いマゾヒストの傾向があり、2人はSM的セックスに溺れるようになりました。

ある日マックスの家でヴィデオドロームのテープを見つけたニッキーは、マックスが止めるのも聞かずに再生し、異様に興奮します。そして数日後、突然「ヴィデオドロームに出演したい」と言い、ピッツバーグに出張で行って来ると言い残して行方知れずになってしまいます。

マックスは手を尽くしてヴィデオドロームの関係者に接触しようと試みます。

マックスの局に売り込みに来ているアングラ映像のプロモーター、マーシャは裏事情通なので、マックスは一度断ったマーシャのコンテンツを買い上げることを条件に、ヴィデオドロームの調査を依頼します。

数日後、マーシャはマックスに「ヴィデオドロームのことは忘れなさい。あの人たちは貴方には徹底的に欠けているものを持っている。その哲学が危険なのよ」と言って止めますが、しつこく食い下がるマックスに、ひと言だけヒントをくれました。

「オブリビアン」

そう、他局の番組に、ブラウン管越しに出演していたあの奇妙な男です。マックスはオブリビアンに接触するために、ピッツバーグに向かいます――。

『ヴィデオドローム』1982年

【レビュー※ネタバレなし】中毒性と、悲惨さと。暴力の官能性を徹底的に描き尽くす!【ヴィデオドローム

オレたちの変態イケメン、クローネンバーグ監督の『ヴィデオドローム』!!
ひと言で言えば最高でした!!

マックスは恋人のニッキーが、煙草で自ら根性焼きをするのを見てショックを受け、別の日にマーシャが喫煙するのを見て思い出し、気分が悪くなる程度のファッションSです。

一方、真性Mのニッキーは、「ヴィデオドロームに出演したい」という抗いがたい欲望を抑え切れずに、自ら飛び込んでいってしまいました。

それぞれの立場で、ヴィデオドロームに取り込まれる2人。マックスは何とか「こちら側」に踏み留まろうとしますが、繰り返し現れる幻覚の中で、ニッキーから「こっちへいらっしゃい」と誘われるようになってしまいます。

ニッキーと、元の生活を取り戻したいという理由で、ヴィデオドロームの制作者を追い回すマックス。しかし、本当にそれだけが理由でしょうか?

ヴィデオドロームにはまっている理由を、マックスは自分で「ビジネスリーズン」と言っていました。けれどもバリーにあっさり見抜かれていたように、本当はヴィデオドロームの「本物の暴力」を追い求めていたことは、疑いようもありません。

そのことを、非常にいい絵面で伝えてくれます。

オブリビアン教授からの郵便物を、会社の秘書がマックスの自宅に届けるシーン。
秘書が突然ニッキーに見えたマックスは、突然ズカズカと近付いていって、激しい平手打ちを連続で食らわせます。

一瞬あとに殴られて驚く秘書の姿になり、動揺したマックスは平謝りしますが、秘書を殴ってしまったということすら幻覚で、ポカンとされる始末。ここの、一瞬で空気が変わって、毅然と暴力を実行してしまうシーン、非常にスリリングでした。

それから、バリーに「君の幻覚を記録したい」と言われて、マックスがヘッドギアを被って幻覚を見ているシーン。

真っ赤な部屋にニッキーが入って来て、「何をぐずぐずしてるの? 始めましょう」とバラ鞭を手渡される。
その直後、ニッキーはテレビになってしまいました。
そして画面の中で両手を拘束されている。最初は恐る恐るだったマックスは、やがて眼を剥いて本気で鞭を振るい始めます。

正気が、暴力にじわじわ侵食されていくのがよく分かる、ステキなシーンでした。

暴力には中毒性があります。

『ヴィデオドローム』1982年

絶対的な暴力を、振るったり振るわれたりしたこと、ありますか。
もしくは、絶対的な暴力を、たえず目撃していた経験は?

わたしはあります。

私見ですが、暴力は、関わっている人間の脳の一部の回線を、焼き切ってしまうのだと思っています。

振るっても振るわれても、それを延々と目撃しているだけでも、関わっている以上それを避けることは決して出来ない。

そして焼き切られた回線は、二度と回復しないのです。

本心が望もうと望むまいと、一度そうなった者は、何となく、永遠に暴力を求めているようになる。
ヤク中と同じですね。

振るう側ならともかく、振るわれる側も、何となくいつも暴力のことを考えている。だから、一旦足を洗ったら、プレイかコンテンツの暴力にはまっている方が安全だと思われます。またもや本物の暴力に身を投じてしまったら、今度こそ破滅が待っているかもしれない。

クローネンバーグ監督は、この暴力の魔力を、よく分かっていらっしゃるなと思いました。
嫌悪しようが憎悪しようが、一度暴力に捕まったら、二度と完全に忘れることは出来ない。
関わらないように注意して、平穏に暮らすことは可能ですが、暴力を知る前の状態には二度と戻れないのです。
このことの救いのなさを、誤魔化さずに真正面から描いていて、非常に素敵と思いました。

暴力はカタルシスであり、その興奮は性的なものと酷似している。
甘い破滅の匂い、壮絶に胸糞の悪い、一方的な蹂躙の中にも、たぶん加害者側だけになら、確実に存在している。

だからどんなに刑罰を重くしても、全ての人類から鬼畜と罵られようとも、暴力は根絶出来ないのだと思います。
このことは向き合うことに勇気のいる不都合な真実であり、だからこそこんな物語が生まれたのかな、と、映画を観ながら考えておりました。

ところで、ポルノ映像制作会社の女ボス、マーシャがとっても素敵。
マーシャの好みはクラシックで格調高いポルノのようです。でも、より過激なものを欲しているマックスからはけちょんけちょんに言われてしまい、商談は成立しませんでした。

けれども、マックスからヴィデオドロームの調査の報酬として「あのアポロンを買い取るってのはどうだい?」と持ち掛けられると、首を振りながら「それは傷付くわ、マックス」ポルノだけれど、マーシャは自社の作品にはポリシーと誇りを持っているのですね。

その上「一緒にシャワーを浴びるってのはどうだい?」と、更にばかにした「報酬」を提案をされてしまう。
確かにマックスはマーシャより若いしいい男ですけどね!
それに対するマーシャの答えが、個人的に素晴らしかったです。にっこり笑って、

「そりゃもう綺麗な体でしょうね。でもわたしはもっと若いのが好みよ」

どうです!!
年下の色男のマックスを一応立てておきながら、ばかにすんなよとばかりに「もっと若い子がいい」!!
わたしもいつかちょっと年下の色男からばかにした口きかれたら、こんな切り返しが出来るBBAになりたいと思いました!!

ほか、テレビの向こうのニッキーの幻覚に誘われて、自らテレビにズブズブと入っていく「逆貞子セックス」とか、

『ヴィデオドローム』1982年

ハーレンがうぎゃーっバーン!と爆発するシーンとか、爆笑シーンも散見出来る、素晴らしい映画でした!! どれが現実で幻覚か分からないゲシュタルト崩壊っぷりもなかなか怖いですよ。

是非一度ご覧になってみて下さいね!!

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