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【映画レビュー】『バッファロー'66』1998年

バッファロー'66』1998年

『バッファロー'66』1998年

バッファロー'66』1998年:あらすじ

5年の刑期を終えて出所してきたビリー・ブラウンは、ケチなチンピラ。
両親に逮捕収監されたことを隠していた彼は、釈放されるなり実家に電話をして、またもや嘘を重ねてしまいます。

嫁さんを連れて実家に顔を出さなくてはならなくなったビリーは、その辺にいたおにゃのこ、レイラを拉致、オレの両親の前で嫁のふりをしろと無茶振りをします。

『バッファロー'66』1998年

【レビュー※ネタバレあり】しょうもない旅路の果ての、解放と小さな奇跡【バッファロー'66】

愛しきダメンズ・ムービー、そして非モテ男子ドリーム・ムービーとして有名な本作ですが、めっっっっっちゃくちゃ染みました。

↓↓↓ 以下ネタバレ閲覧注意 ↓↓↓

おお、何と痛いお話だろう。

一言で言うと「クソ故郷へのセンチメンタル・トラウマ・ジャーニー」ですね。
わたくしの大好きな「いつかこの街おん出てやるムービー」亜種! 乗り越えるために帰還するお話。

ヴィンセント・ギャロ演じるビリー・ブラウンの、寄る辺なさがスゴい。

溶けかけの雪の塊があちこちに残る寒い日に釈放されるも、ベンチに座ったら背中が出ちゃうような、短く薄い上着しか着ていません。
ほんで、せっかくシャバに出たのに、いつまでも刑務所の前のバス停のベンチに縮こまっている。

挙句の果てに、ヒエヒエに冷えまくって「トイレ貸してくれ!」と刑務所に戻ろうとします。これには門番もビックリ。
「お前何やってんだ、まだ居たのか。一旦釈放されたらもう中へは入れられんぞ。そろそろ街へ出る最終のバス来ちまうぞ」

『バッファロー'66』1998年

尿意をこらえて何とか故郷バッファローのそばまで戻ってきたビリーだけど、またまたつまんない嘘をついちゃって、親に嫁さんを見せなきゃならなくなった。
で、行き当たりばったりに拉致った女の子、レイラをこづき回して、俺の親の前で嫁のふりして俺を立てろ! とか言い出して、ほんとこいつやなヤローだなとか思う訳ですけど、このあとがものすごいんです。

もうね、愛されてない。ぜんっぜんビリー、愛されてない。両親から。
というか、両親が勝手すぎる。

両親が、息子ビリーに無関心ってことを表す表現がものすごい。

母ちゃんはチョコレートが、アナフィラキシーを起こす程のアレルゲンだってことを全く覚えておらず、ビリーに無理にチョコレートドーナツを食べさせようとする。そしてテレビのフットボールに夢中で、66年には名勝負があったのに出産中だったから見逃した、この子のせいで、とか言い出す。

父ちゃんはナイトクラブの歌手崩れで、いい気分で偽の新嫁、レイラ(ウェンディと偽名を名乗っていたけど)に歌など聴かせるも、ちょっと気に食わないことがあった程度で怒鳴り回す。
もっと歌を聴きたいな、と言っただけの、初対面の若い女の子であるレイラであるのに。

そしてぎごちない食事が始まる訳ですが、一度としてカメラに「4人全員」が収まることがないんです。

『バッファロー'66』1998年

常に誰かが欠けている。この映し方で、いかにブラウン親子が大昔からバラバラであったかが伝わってきて、うううと思ってしまいました。

新嫁(偽だけど)を囲んで、一見和やかな家族の団欒。その最中に、ビリーは過去の苦い思い出を次々と思い出している。

可愛がっていた子犬を、父親のせいで失った思い出。
チョコレートを食べて顔が腫れ上がった思い出。

こんな両親に、服役していたことを隠し、偽の嫁さんまで見せるビリーが可哀想すぎる。
小さな頃からビリーは孤独で、それでも、今でも、両親から褒めてもらいたい、少しでも愛してもらいたい気持ちが諦めきれず、しかしまたもや絶望してしまったことが伝わってきて、胸が痛くなります。

有名なボーリングシーンも切なすぎる。

ビリーは確かに、地元で何度も賞を獲る程にボーリングが上手だったけれど、「それしか取り柄がなかった」ということがハッキリと分かります。

しかも、たかがボーリング。うまいといっても何になるのでしょう。

ロッカーにはまさに「昔取った杵柄」のトロフィーがギッシリ。
そしてそこに貼ってあった写真の美少女が「ウェンディ」だと判明する訳ですが……
やめて!! もうビリーのライフはゼロよ!!

『バッファロー'66』1998年

ひと休みしていたデニーズを出て、向かいの店まで走っていくビリー。しかし、もう閉店。
結局またデニーズまで戻ってきて、トイレで遂にむせび泣いてしまうビリー。

「生きてられない。生きることがつらすぎる」

ああもう痛い。過去って、故郷って、痛い。
冴えない子ども時代、そして冴えないその後の人生。
どこでどうしてこうなった。観てるこっちのライフもゼロスレスレまですり減っていきます。

そんなビリーを、じっと見ているレイラ。
伸ばしかけた手を、頬へのキスを、何度振り払われても、もう用は済んだからと解放されても、ビリーの下から去っていこうとしません。

『バッファロー'66』1998年

『バッファロー'66』1998年

そして訪れる、小さな、決定的な変化。

↓↓↓ 以下決定的なネタバレ閲覧注意 ↓↓↓

ビリーは結局、何も成し遂げなかったとも言える。
でもギリギリで、破滅的な最期を「選択しなかった」ことってスゴい勇気だと思ったなーーーーーーーーやったなビリー!! お前えらいよ!! と、ちょう肩をどやしつけたくなりました!!

カッコつけて、破滅的に「ケリをつけ」ても、だーーーれも褒めない、悲しまない。
そのことに気付けたビリーは、きっともう大丈夫と思いました。

命がけで復讐したかったスコットは、フットボールの選手を引退したあと、トップレスバーを経営してそれなりに面白おかしく暮らしてるかもしれないけれど、見る影もなく太りまくってかつての面影は微塵も残っていませんでした。

そんなスコットが、自分のことなど全く知らずに、お前も飲むか?とばかりにショットグラスを差し出す。
ここ、めちゃくちゃ名シーンでした。

きっとここでビリーは、例の試合以後非難を一身に浴びて選手を引退せざるを得なくなったスコット、以前の輝かしい面影が全くない、老いて太ったスコット、そんなスコットを殺したところでどうにもならないし、ましてや彼を殺して死んだところで、自分の親すら悲しんでくれないだろうという、どうしようもない現実を思い知って、けれどもそのおかげで、過去に決着を付けて新たに生き直す勇気を持てたんだろうなーと思いました。

ラスト、ラージサイズのホットココアとハート型のクッキーを買って、レイラの元へ戻ろうとするスコットの顔付きが、それまでと全くちがっているのがめちゃくちゃぐっときました。ほんとにうれしそうに、生き生きしていて。

『バッファロー'66』1998年

バッファロー'66』は、めちゃくちゃ重要なことを教えてくれました。

生き直すには、何かを成し遂げる必要すらないんです。
ただ、勇気を出して、ちょっとだけ「思いを変えればいい」。

めちゃくちゃ勇気が湧いてきませんか。
ヒーローになる必要なんてなかったんです!!

大切なものはなんですか。そこだけハッキリ自覚して、今日はクズでも、あしたはちょっとましなクズに。そのまたあしたは、さらにも少しましなクズに。ゆっくり進めば、これまでとちがう景色が見えてくる。そんな小さな冒険を後押ししてくれる、めちゃくちゃステキムービーでした。

まだのかたは、是非一度ご覧になって下さい!!

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