【あらすじ】『マッドマックス:フュリオサ』2024年
人類が愚かな戦争を繰り返し、汚染され、荒廃した世界。
そんな世界の片隅に、緑豊かで豊穣な「母なる緑の地」と呼ばれる土地がありました。
フュリオサは、「母なる緑の地」で、優れた戦士である母、メリー・ジャバサとしあわせに暮らす女の子です。
しかしあるとき、凶悪なバイク集団、「バイカー・ホード」のならず者に、「母なる緑の地」を見つけられてしまいます。
必死の抵抗もむなしく、連れ去られてしまうフュリオサ。
「バイカー・ホード」のテントで、フュリオサは長のディメンタスに差し出されます。
自身の子どもを亡くしていたディメンタスは、フュリオサを気に入り、お抱えの賢者に預けて、可愛がろうとします。
ひとことも口をきかないフュリオサでしたが、娘のように扱うことに決め、リトルDと呼び始めます。
しかし、フュリオサの母、メリー・ジャバサが襲撃し、フュリオサを取り返そうとします。
メリー・ジャバサは優れた戦士でしたが、大勢かつ高機能車両を多数持つバイカー・ホードに追い詰められ、愛娘のフュリオサの目の前で、処刑されてしまいます。
ディメンタスはバイカー・ホードを引き連れ、フュリオサの故郷「母なる緑の地」を奪還すべく旅立つのですが、その途中でシタデルのウォー・ボーイを見つけ、目的地を「母なる緑の地」からシタデルに変更します。
そして到着したシタデルで、統治者のイモータン・ジョーに謁見を申し出、取引を持ちかけるのですが……。
【レビュー※ネタバレなし】『マッドマックス:フュリオサ』2024年
「フュリオサ完成」までを描く、怒りと慟哭の物語
わたくしたちの人生に、フュリオサというヒロインが舞い降りたのは、2015年のことでしたね……。
女の身、そして片腕でありながら、シタデルの暴君、イモータン・ジョー率いるウォー・ボーイズの大隊長を務める、オレたちのフュリオサ・ジョ・バッサ。
本作は、幸福な少女だった彼女が、燃え盛る怒りを胸に、復讐の天使として完成するまでの物語です。
初日鑑賞の皆さんの意見は、真っ二つと言っていいほどくっきりと、絶賛派と疑問派に分かれていました。
わたくしトリッチの意見は、「いーんでない! アリです!」ってところ。
絶賛派の意見も、うーん?派の意見も、実際観たら「分かるわぁ」ってなりました。
それでは順番に語っていこうと思います!
この世には二種類の映画がある。それは「ぶちあがるための映画」と、「ぶちあがるためではない映画」だ!
前作、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』2015年 は、紛れもなく「ぶちあがるための映画」です。
全編ハイテンション! 息を呑むようなカー・アクションと、目が離せないスリリングなストーリー。目を見張るような美女(しかもフュリオサも合わせて6人!)に、命知らずそしてどこかピュアな暴力軍団、ウォー・ボーイズと、個性豊かな悪役たち。
あのテンションを、『マッドマックス:フュリオサ』2024年 に求めると、「うーん?」となってしまうと思います。
何故なら本作、『マッドマックス:フュリオサ』2024年 は、怒りのデスロードとはちがう、「ぶちあがるためではない映画」だからです。
言うなれば怒りのデスロードは、「闘って、抗って、希望を勝ち取る」映画と言っていい。
だからあの全編ハイテンションが生きてくる訳で、本作フュリオサとは全くちがう部類の映画です。
本作、『マッドマックス:フュリオサ』2024年 は、あのデスロードの希望へ繋がる漆黒の前夜、フュリオサが復讐の天使として完成するまでを描く物語であり、そのためには、テンポを落として、じっくり描く必要がある。
だから、こんなふうになったんだろうなーと思いますし、それで大正解と思いました。
自慢の母親、最愛の母親を、目の前で惨殺した男に捉えられ、ペットのように愛玩され、男の取引相手から欲せられ、隙を見て逃げ出し、男奴隷のふりをしながら有能さを見せつけ、上り詰め……小さな少女だったフュリオサがたどる運命は、臥薪嘗胆そのものです。
こんな物語を、前作のようなヒャッハー!一辺倒で、描ける訳がないでしょう。
なので、このアプローチでいい、とわたくしは思います!
ただ、前半はけっこーダルい。これは認めます。
オレたちはMAD MAXを観に来てる訳で、やっぱヒャッハー!とかカー・バトルとか、超暴力とかクソDQNとかが見たい訳でしょう。
結論から言うと、ヒャッハー!とかカー・バトルとか、超暴力とかクソDQNとかを見ることは、無事にできる訳なんですけど、そこに至るまでが割と長い。
で、前半ダリぃな、ってなっちゃう気持ちも、ちょう分かるなって思いました。
あとなんか、前半、映像がペラいというか、軽く見える。
何だろなーーーー専門的なことは分からんけど、何か映画じゃなくて、ドラマを見てるみたいな感じがする。
何でそう感じるんだろう。ナゾ。
ノリとしては、アレに似てる。ドラマシリーズがはじまっちゃったスターウォーズ。
観てないのにディスるのよくないけども、何かドラマのスターウォーズって、ペラそうで見る気になれない。
何だろ、ほんとうまく言えないんだけど、フュリオサの前半にも、似た感じのペラさを感じる。
そしてここが、本作をニガテっておっしゃってるかたのニガテどころかなってスゴく感じる。
と、ダルい部分も思い切り語りましたが、それでもわたくしは、この映画が好きです。
マッドマックスの世界線を語る上で、やはり避けて通れないエピソードだったと思うのです。
新旧の魅力的なキャラクターが目白押し!
マッドマックスワールドの魅力の一つは、いきいきとしたキャラクターたちだと思うんだけど、本作もとてもよかった。
まず、フュリオサの味方になってくれる、警護隊長ジャックが、とてもよかった。
イモーたんの嫁候補にされそうになったフュリオサは、逃亡し、ウォー・ボーイズに混じって「男の子奴隷」のふりをして生き延びようとするんだけど、度胸がよくて身が軽く、メカニックの整備においても優れた適正を発揮して、めきめき出世していきます。
そんなフュリオサの上司となったのが、ウォー・タンクの運転手で、ウォー・ボーイズの指揮官でもあるジャック。
運転の技術が高く、冷静で、接近戦も強いし、ほんといい男です。
フュリオサが女であることに気付いてからも、よき相棒として彼女を支え、お互い好意はあっただろうけど、リスペクトと同志愛が勝る関係性は、のちのマックスと彼女を彷彿とさせる部分もあり、とてもよいキャラでした。
そして、本作の悪役、バイカー・ホードの長、ディメンタスは、本作の裏の主人公と言ってもいい存在感。
イモータン・ジョーと派遣を争い、ガスタウン、バレットファーム、そしてイモータンの本拠地でもあるシタデル奪還を試みるしたたかな男ですが、彼もやはりこの時代の犠牲者であり、絶望の果てにこのような生き方になったのだなぁということが透けて見える、重厚なキャラでした。
子どもだったフュリオサに、奇妙に執着する様が、とても印象的。
この時代には珍しい「五体満足の女児」ということを知ったイモータン・ジョーが、嫁候補にするからその子を寄越せというのですが、
「俺はこいつを、雨からも嵐からも、砂漠からも、変態どもからも守ってきたんだぞ」
というようなことを言うシーンがあるのですが、そのときのイモーたんが、あの奇妙なブリーフ姿みたいな格好してて、「変態てイモーたんじゃん」と笑っちゃいましたw
それと、個人的には、リクタス、スクロータスの、イモーたんのバカ息子たちとの再会がうれしかった!w
特に、ちょっと足りないゴリラーマン、リクタスは、前作から何か好きなんですよね。フラジールにまんまと騙されたりして、可愛かったですよね(笑)
そして何と言っても、フュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイが、ほんっとーーーーに素晴らしかった!!
前作でシャーリーズ・セロンが命を吹き込んだ、映画史上に燦然と輝く、傑作中の傑作のヒロインであるフュリオサ・ジョ・バサ。
やりづらかったと思うなーーーー! 熱狂的なファンが多数の、伝説のキャラだからね!
でもアニャちゃん、やってのけました!
劇中ジャックが「魂に獣を宿している」って称する内なる激しさを、あの印象的な瞳で演じきってくれました!!
タフでクールなフュリオサ、心に復讐の炎を燃やすフュリオサ。イモーたんの嫁さんたちを自由にしたいという思いが芽生える以前の、自分自身に対する落とし前をつけることに命を賭ける若き日のフュリオサを演じてくれたのがアニャちゃんで、ほんっとーーーーによかった!と、思いましたよ!
はああああああ、MAD MAXサーガ、これで終わりなのかな????
もっと見たいーーーー!!😭✨️
思いのほか長く、じっくりと少女時代が描かれますが、フュリオサが大人になってからは、怒りのデスロードみたいな激しいカーアクションも見られますし、相変わらず改造車のギミックは「そう来る!?」って面白さでいっぱいでした!!
救いのない世界での、理不尽な喪失の痛みと絶望。
そして憎悪に燃え上がって復讐を決行することと、「それでも還らない」者たちを思っての慟哭。
重いものをずっしりと受け取る、素晴らしい映画体験でした。
大傑作の前作というフィルターを外して、まっさらなおめめと心で、是非堪能してきてください!!