『ジェイコブズ・ラダー』1990年
『ジェイコブズ・ラダー』1990年:あらすじ
アメリカ軍陣営が疲れ切った状態でしばしの休息をとっていました。
こっそりヤクをやる者、下品なジョークを飛ばす者とそれを笑うもの。
主人公、ジェイコブ・シンガーは下痢に苦しんでいましたが、そのこともジョークにされ、一緒に力無く笑っています。
そこへ突然敵軍の急襲!
緊張が走り、戦闘態勢に入ろうとする戦友たち。
しかし様子が変です。頭が痛い!と苦しみ出す者。倒れて痙攣し、血を吐き始める者。錯乱して叫びながらくるくる回り出す者……あっという間に地獄絵図と化す中、ジェイコブは必死にジャングルの中に逃れましたが、飛び出してきた何者かに腹を刺されます……。
と、気付くとジェイコブは、NYの地下鉄に揺られながら目を覚ましました。
また戦争の悪夢を……しかも居眠りをしていて乗り越したかもしれない。
しかし乗客のおばさんにここ何処ですか?と聞いても答えてくれません。
ふと座席に寝そべっている乗客を見ると、腹の辺りで気味の悪いにょろにょろしたものがのたうっているように見えました。
咄嗟に下車してしまうジェイコブ……その夜から、不可解なことが起こり始め、悪夢と現実の区別が曖昧になってきてしまいます……。
【レビュー※ネタバレあり】痙攣的に美しい悪夢表現と、静かにさみしい悟り【ジェイコブズ・ラダー】
'90年代にTherapy?というバンドがいまして、「Stop It You’re Killing Me」という曲のPVで、この映画の映像を使っていました。そこで断片的に見たのが最初の出会いでした。
去年、どうやらあれは映画の一部だったようだと気付きまして、先日やっと全編観ることが出来た次第です。
実は当方、手相を見てもらうシーンで、いきなりネタバレに気付いてしまいました。
ズコー! おいおいおいおい伏線になってないYO! バレバレだYO!
それを差し引いても、めちゃくちゃ素晴らしい映画でしたね。もう迷わず観た年のベスト3に選出しています。
いやもう……素晴らしいです。
以下ネタバレ全開でまいります。
未鑑賞のかたは閲覧注意!!
「アメリカ軍がベトナム戦争で秘密裏に何をやったか」という視点で描けば、社会派サスペンスにも成り得たと思いますが、この映画はそうじゃない。死の恐怖、そして祝福がテーマのお話でした。観終わったあとにかなりずっしりとした感動を受け取ることが出来ます。
自分で気付く。救いの一歩はそこから
悪人面だし、首ゴキッ!がめちゃ怖かった整体師のルイ。
彼がめちゃくちゃよかったです。
完全にわたし個人の偏見ですが、わたし実は「整体」ってめちゃうさん臭いと思ってて。なのでルイも何か悪い奴なんじゃないかと思ったらちがった。
劇中ジェイコブが「ケルビムみたいだ」って言ったのがフラグだったんですね。
「君自身の脚で立って歩けるかが見たい。おいで。そうだ良くやった。ハレルヤ」
ここのハレルヤがとってもいい。ハレルヤってこういうふうに使う言葉だったんだなあああ。そして祝福って大げさなものではなく、こんなふうに贈っていいのだなと思うと、こう、胸に来るものがあります。
天使は、迷える者を救いたい。
けれども人が、自分で気付いて、自分の脚で立とうとしないと、それ以上はどうにもならないのですね。
この解釈もとっても好きだなと思っています。
『ホームアローン』でブレイク直前のカルキンも、文字通り天使のような可愛らしさです。
やっぱり愛する人が、と思うと、そこに少しだけ救いがあるのがよかった。
カルキンと階段を上がっていくラストシーンの直前、ひと晩かけていろいろ思い出したジェイコブが、穏やかな顔でぼーっと座っている部屋に差す朝日がとても優しく。
静かでさみしいけれど、実に美しいシーンでした。
救いを際立たせる、痙攣的な美しさに彩られる悪夢
そしてこれらの救いは、その前の悪夢が壮絶だからこそ生きて来たと思います。
何度もフラッシュバックするベトナムでの出来事。
魅力的だがどうも情が薄くてクソ女の恋人ジェジー。写真燃やすわ、2週間で看病に根をあげて文句たらたらだわで、もうほんとお前!
浴槽での氷漬け、突如眼の前で爆死するかつての戦友、政府公用車と謎の黒服たち。
顔のない男、四肢欠損で小刻みに頭を振り続ける「シェイキング・ヘッド」、精神異常者と、血だらけでバラバラの四肢が転がる病院。
これらの恐ろしい悪夢風景に加えて、主人公のゲシュタルト崩壊が更に恐怖をいや増します。
俺は何処にいるのだ? ベトナム? ジェジーの汚いアパート?
それとも、かつての妻子たちと暮らしたブルックリン??
これは堪らない。
つらいなぁ。戦争のPTSDでこのようにつらすぎるものなのかもしれない。
そんなことも思いました
最後にもうひとつ。
主人公とジェジーの関係ですが、たぶん現実では「ちょっといい女だなぁと思ってる、ほぼ関わりのない同僚」程度だったんだろうなと思いました。
妻のサラの方がもちろん愛してるし、ジェジーはほんと、「ちょっといい」と思ってるだけで、「あの女とヤラなきゃ死んでも死に切れん」とか思ってる程でもないんですよ。執着ですらない。
でもちょっと、心の中にあった「いいな」程度の気持ちが、あんなときに、あんなふうに表れてくるっていうのが、ものすごい説得力だし、生々しいなと思いました。スゲー分かってるなと。
そしてじぶんのああいう瞬間に、果たして誰が出てくるだろうか、なんてことも考えてしまいました。
痙攣的に美しい悪夢と恐怖。死の瞬間と向こう側。誘惑と祝福。愛する人。生きているこの瞬間の尊さ。
いろんなことに思いを馳せて、さみしく、仄明るい、重厚な感動に押し潰されそうになる名作でした。