Canary Chronicle~カナリアクロニクル~

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映画や本のレビューや雑感、創作活動や好きなもののことなど。トリッチのあたまの中のよしなしごとを綴ります。

【映画レビュー】『炎628』1985年

『炎628』1985年

『炎628』1985年

『炎628』1985年:あらすじ

1943年白ロシア

少年フリョーラが一心不乱に地面を掘っています。
彼は兵士の遺体と共に埋められたライフルを見つけ出して奪うつもりでした。何故なら憧れのパルチザンへの入隊条件が「銃器を持参すること」だったからです。

その後思惑通りにライフルを発見し、入隊が叶いますが、余りにも若いため雑用しか言いつけられない日々が続きます。がっかりするフリョーラ。

そんな少年の憧れと現実をよそに、戦局は厳しいものになっていくのでした。

不気味な音を立てて飛び交うドイツ軍の偵察機
そしてナチス特別行動隊が、着々とこの地に入り込んできていました――。

『炎628』1985年

『炎628』1985年

【レビュー※ネタバレあり】それが人間の弱さでもあり人間らしさ。深く深く感動!!【炎628】

「真の鬱映画」「救いゼロのちょうぜつ胸糞戦争映画」と名高い本作、2019年のクリスマスイブにやっと鑑賞することが出来ました。

どんなに魂をえぐられるかと警戒しながら観始めた訳ですが、結論から申し上げれば、思いがけず、深く深く感動してしまいました。

ものすごく久しぶりに「映画で完全に満たされた」状態になったため、ただいまのわたくしは非常に穏やかな気持ちです。

以下、ネタバレ全開で語りますので未見のかたは閲覧注意!!
ネタバレ部分に深く感動したんだよ、語らせてくれーーー 許してたもれ!!










これはスゴい。こんな怖い映画、そうそうあるもんじゃない。

ブーンと不気味な音をたてて飛び交うドイツ軍の偵察機。何の前触れもなく始まる激しい爆撃。大量の蝿の羽音。地雷地帯。一瞬で吹き飛ぶ仲間の命。

何をしていても、わずかな癒しの瞬間にさえ、死の影が色濃く落ちてきていて、その不穏さときたらありませんでした。

フリョーラがときめく美少女、グラーシャもめちゃめちゃこわい。

グラーシャはパルチザンに看護婦としてついてきている少女で、フリョーラよりもやや年上。
しかしフリョーラよりもずっとませていて、「男に愛されたい」「男に愛されて子供を産みたい」という、自分でも説明のつかない強い衝動に衝き動かされています。
それでパルチザンの隊長に憧れを覚えて、付け回したりしています。

が、フリョーラと同様に足手まといと見なされ、進軍の際に留守番を言いつけられてしまう。

で、お互い泣き叫びながら森をさまよっているところで合流する訳ですが、完全に子どもでねんねのフリョーラに、あたしをどうにかしてよ、と迫ったりしてしまう。
ここがめちゃくちゃ怖い。

『炎628』1985年

少女なのに、老いた魔女のような表情で迫り来るグラーシャ。出発前に彼女を見かけて憧れていたフリョーラですが、思わず激しく拒絶してしまうのも無理はない。
戦場という、子どもが子どもでいられない場所の因果を思い、深いため息をつくほかないシーンです。

盗んできた牛が死ぬシーンも非常につらかった。
正直に言いますが、どんな人間がどんな目に遭うシーンよりも、この牛の死がキツい。

飢えた仲間たちの元へ持ち帰り、当然食べるつもりでいる牛ですが、泥棒に気付いたドイツ軍が遠くから銃撃してきて、哀れ牛さんも被弾……苦しそうに、長々とうめきながら、忙しく瞬き、眼球をギョロギョロとさせながら、遂にこと切れる。

この絶望ったらなかった。

小さな少年であるフリョーラには、とてつもなく重い牛の死体を運ぶことなんて当然出来ないし、何より、のんきな家畜でしかなかった牛が、非常に苦しみながら目の前で死んでいくのです。牛からすれば、与り知らぬ戦争によって。愚かな人間の、愚かな所業である戦争によって。ごめんよごめんよ。もうつらすぎる。

嗚呼生き物とは、命とは。
死ぬ間際に苦しまない命なんてあるのだろうか。
すべからく、命は死に際に苦しみ抜かなくてはならないのだろうか。つらすぎ。
本当に申し訳ない。牛さんのような穏やかな命を、こんなふうに死なせてしまって。
もう本当にこの牛の死のシーンはつらすぎる。

更に物語が進行するにつれて、ぐいぐい引き込まれて眼が離せなくなります。
そして積み重なってゆくエピソードは、想像を超えた悲惨さを加速させてゆき。

あどけない少年だったフリョーラの顔に、老人のような深い皺が刻まれてゆく。

『炎628』1985年

『炎628』1985年

そして眼がスゴい。絶望の眼、絶望を過ぎての虚無の眼、そして一転して、心底からの恐怖の眼。

祖国のために闘うぞ、と憧れただけだったのに。
少年の、そんな無邪気な憧れなどけし飛ぶ程の残虐さと、人類そのものへの冒涜。
自分たちを選ばれし民と信じて疑わない、ナチス特別行動隊の面子の、不気味な美貌も恐怖を掻き立てます。

ところが。

まったく救いのないはずの本作の、めちゃくちゃ有名なクライマックスシーン。
ここにわたしは、ほんのわずかな救い、否、救いにはなっていないかもしれないけれど、これから救いに繋がるかもしれない可能性?に気付いて、あっと驚き、深く深く揺さぶられてしまいました。

美貌のナチス将校は、命乞いもせずに主張します。

「全ては子どもから始まる。共産主義は、劣悪な人種にのみ宿る劣悪な思想だ。だから君たちに未来を許す訳にはいかない。だから君たちの子どもを根絶やしにする。私はやり遂げなければならない」

そして泥水の中に落ちているヒトラー肖像画を見つけて、湧き上がる感情を抑えることの出来ないフリョーラは、ライフルで、撃って撃って撃ちまくります。

フリョーラのあたまのなかに、これまで見たヒトラープロパガンダ映像が流れ込んでくる。軍を指揮して戦争を始めるヒトラー。民衆の前で演説をぶつヒトラー。民衆に拍手喝采で迎えられるヒトラー。首相にのぼりつめるヒトラー。初めて選挙で当選するヒトラー。冴えない学生時代のヒトラー

ヒトラーの歴史が、逆回しで遡っていかれ、どんな時代の、いつの瞬間のヒトラーも許すまじとばかりに、憎悪の表情を浮かべながら、肖像画を撃って撃って撃ちまくるフリョーラ。

しかし、彼のあたまのなかのヒトラーが、天使のように愛らしい、赤ん坊のヒトラーになったとき、フリョーラは戸惑いの表情を浮かべます。
そして戸惑ったまま、ライフルを下ろして、とうとう撃つのをやめて、肩を落として立ち去ってゆきます――。

ナチス将校の言うように、「子どもから全てが始まる」ならば、赤ん坊のヒトラーを撃てない、ということは、結局ヒトラーを台頭させる危険なあやまちとも取れる。
しかし、それでも無垢な赤ん坊、まだ何もしていない赤ん坊を撃てないということ、それが人間とも言える。

わたしは後者と解釈しました。

その後フリョーラがきっぱりと決断し、相変わらずチビながらもパルチザンに再度参加して、今度は勇ましくついていくシーンで終わりなので、「それでも殺し合いは終わらない」って絶望的に取るのもありだけど、わたしは、行動はまだついてこなくても、フリョーラが赤ん坊を撃てなかったことに、やっぱり人間としての希望が残ってる感じがして、深く感じ入ってしまいました。

人間は、何度も何度も危険なあやまちを犯し、それでも少しずつ学んで、より高い人間性を目指す存在でありたい。あってほしい。そうあろうと思える、素晴らしいラストでした。

また、このヒトラー肖像画を撃つシーンを観たことで、改めて映画と小説のストーリーテリングのちがいってものにも、眼を開かれる思いもしました。
あぁー映画って、こういうやり方で物語を見せることが出来るのね、という新たな発見というか。こんな見事なストーリーテリングを体験出来たのもしあわせでした。

もちろん本作、プロパガンダの要素もあります。
ド外道ぶりが広く知れ渡っているパルチザンを美化しすぎ、とも思う。

しかし、そういう要素を加味しても、大傑作ということが出来る最上級の怖い映画で、かつ、人間とは、と問われ、作品内に作り手なりの答えも示されている、めちゃくちゃ素晴らしい映画でした。

本作を大好きなかたと是非じっくり語り合ってみたいと思います!!

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